カテゴリ:東日本大震災

ありがとうございますm(_ _)m
3/11から3年も経ったし忘れてしまわないうちに。自分と、そして母にとって命の危機になった修羅場。
1.
自分にとっての修羅場は前振りから分かると思うが、大地震にあったとき。
何人かの友達と一緒にいたんだけど、全員の携帯から同時に鳴り出す聞き覚えの無いアラーム。確認すると「緊急地震速報」の文字。あまりに急なことにポカーンとしていると、突然立っていられないくらいの地震が。たしか震度は5強だか6弱だったと思う。
その時自分が居たのは、五階建ての建物の最上階。比較的最近の建物だったから無事だったけど、揺れている間はとてもじゃないが生きた心地がしなかった。
当時自分は地元を離れて一人暮らし中で、家族の安否確認の為にとにかく電話をかけまくり、携帯の回線パンク前に運良く家族の生存を知ることが出来た。けど安否確認以降、約3日間は電話もメールもまともに繋がらず、一人で不安で押しつぶされそうだった。
地震から4日後、父が車を飛ばして迎えに来てくれた時は思わず大泣きした。このあとに原発の爆発がもあったりして、さらに不安になったりもしたが、取り敢えずここまでが自分の修羅場。
何人かの友達と一緒にいたんだけど、全員の携帯から同時に鳴り出す聞き覚えの無いアラーム。確認すると「緊急地震速報」の文字。あまりに急なことにポカーンとしていると、突然立っていられないくらいの地震が。たしか震度は5強だか6弱だったと思う。
その時自分が居たのは、五階建ての建物の最上階。比較的最近の建物だったから無事だったけど、揺れている間はとてもじゃないが生きた心地がしなかった。
当時自分は地元を離れて一人暮らし中で、家族の安否確認の為にとにかく電話をかけまくり、携帯の回線パンク前に運良く家族の生存を知ることが出来た。けど安否確認以降、約3日間は電話もメールもまともに繋がらず、一人で不安で押しつぶされそうだった。
地震から4日後、父が車を飛ばして迎えに来てくれた時は思わず大泣きした。このあとに原発の爆発がもあったりして、さらに不安になったりもしたが、取り敢えずここまでが自分の修羅場。

2025年04月13日21:18