1.
今から20年ほど前に経験した実話を話す。
妻の母親が、末期癌が急変して
数日間が峠との連絡が入った。
妻は、自分の喪服だけ
あわてて宅急便で送った後に
生後8ヶ月の子供を連れて
鹿児島に帰省した。

それから4日間、
毎日電話で妻と連絡は取っていたのだが・・
私の仕事が夜の8時頃に終わり 
疲れていたので
家の近くの食堂で
遅い食事をゆっくり取っていた。

当時は携帯もなく
妻から8時頃から何度か
会社や自宅に電話をしたらしいが
気がつくはずもない。
9時頃に家に帰ると


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何度も電話したと怒られ
母親が亡くなったとの事・・・

慌てて喪服の準備をして
朝一番で会社に電話をして羽田に向かった。
前日から仕事で疲れていて
テレビを見ていないのが大失敗だった。

自分1人だから
直ぐに飛行機に
何とか乗れるだろうと考えていたが、
空港に着くと
九州方面便の全便が欠航していて
ジャンボの臨時便が
1本だけ出るととの事だった。
都内は晴天だったのと
義母の訃報で混乱していたので、
何で全便欠航なのか理解できずにいた。

だが、臨時便にどうしても乗りたくて
受け付けを済ますと
キャンセル待ちの
300番台のカードを渡された。
これは、乗れないと思ったが
泣きの涙でカウンターでお願いしたが
空きが出ないと無理との事。
続きます。



2.
イライラしながら待っていたら
何故か離陸の30分ほどで番号と名前を呼ばれた。
ビックリしながら急いで手続きをしてから
飛行機に乗り込んだ。
上空は、何処まで上がっても鉛色の空で
外は全然見えなかった。

鹿児島空港に近づくと
雨もいっそう激しくなり
ジャンボ機が揺れた。
気は焦っていたので、
着陸態勢に入ったので安堵していると・・・
いきなりジャンボ機が上昇した。
「エッ・・」「何で??」
と困惑していたら、機長から
「空港にアタックを試みましたが
着陸は危険と判断
し再度アタックします」
との機内放送があった。
その後、着陸を試みるも また上昇した。



3.
続き・・・
機長から
「再アタックを試みましたが
風が強く着陸を断念しました」
「上空には、6機が待機している状況なので
最後のアタックをします」
「もし着陸できなければ
福岡空港に向かうかも知れません」
との機内放送があった。

機内では落胆の声が上がったが
現実を知るとみなさん静かになった。
その後、最後のアタックで何とか着陸したが・・・・
その日、着陸出来たのは
その1便だけだったとの事。

私は、そんな事より
義実家に行くのが優先だったので
焦りながら高速空港バスに乗った。
連日の仕事の疲れと
前日は、殆ど寝ていなかったので
高速バスの車内で寝てしまった。
時計を見ると1時間ほど経っていたので・・
「しまった乗り過ごした」 と慌てていると
バスの中で乗客が騒いでいる・・・

外は大雨でバスは、
殆ど動いていなかった。

未だ混乱している私は状況が掴めず、
他の人に聞きました
「大雨程度で何で動かないのかですか?」
すると地元の乗客が言うには、
「台風ですよ」
「巨大な台風が、直撃して被害がすごい」
「亡くなった人も出ているらしい・・・」
そこでようやく身に起きた状況を知ったが、
早く亡き義母と妻のもとに行かねばならない。
続く



4.
続き・・・
私は、焦っていたのでバスの運転手に
「どうなっているのか」
と聞くと橋が流され前に進めないとの事。
私は「迂回しなさい」と文句を言うと 
運転手が、バスの本社からの連絡では、
後ろも橋が流されバックも出来ないらしい・・との事だった。
仕方なく
「では、近くの鉄道の駅に行ったらどうか」
と提案した。
運転手は
「その前に一度、
公衆電話を探します。 
そこで緊急の人だけ電話連絡して下さい」
大雨の中10人程が公衆電話に並んだが
殆どの人が連絡できず
時間だけ過ぎて行った。

そのうち運転手が
「状況が酷くなる前に駅に向かうので
全員乗車して下さい」
と言うので私は、
ずぶ濡れになりながら又乗車した。
大雨の中、何とか駅に向かうと・・・・
駅には「線路が流され全線不通です」と
の張り紙が有った。

私は、妻実家に連絡もしていないので、
運転手がバスに避難して下さい・・との声を無視して
大雨の中を構わず1人で傘をさしながら前に前に歩いた。
2キロほど歩いたら公衆電話を見つけたので
妻の実家に連絡すると
義父が
「今は何処にいるのか?」
「無理せず東京に引き返した方が良い」
とのアドバイス・・・

公衆電話に貼って有った
「隼人?」
の地名を言うと
「そこからは1時間は掛かる」との事
「空港は引き返せない、道がない」
と言うと
「何処かに泊まりなさい」との事

妻に電話を変わってもらって
泊まれそうな場所を教えてもらうが
自分のいる場所さえ解らない。
しかもタクシーすら走っていない・・・
その時に10円玉や100円玉が尽きた・・・・
ともかく大雨の中を歩くしかない・・
泊まれる所を自力で探すしかない・・・
車も走っていない中をともかく歩いた。  
続きます。


5.
続き・・・ しばらく歩くと
開いていた商店を見つけて
泊まれる所を紹介してもらったが
そこは自動車学校の合宿用の施設だった。   
施設を紹介されたが
正直言って狭いし汚かったが、
何より風呂が終わったとの事では、
ずぶ濡れの体には
風呂がないと寝るに寝れない。

そこの施設の方から食堂兼民宿(?)を紹介してもらい
そこで食事をしてから風呂に入り
濡れた服を乾燥させてもらった。部
屋は、全室空いていたのでクーラーの良く効く
20畳程の部屋に入れられたが・・
しばらくすると別の部屋に移れとの事。
高速バスの乗客がバスごと避難してきたそうだ。
今度の部屋は8畳ほどだったが・・・また移された。
別のバスの避難客がきたそうだ。
バス会社の費用だったらしく
始めの部屋には20人以上押し込められ
雑魚寝だったらしい。
最後は、四畳半の部屋だったが
「これが最後の移動です」
と言われたが自費なんだから当然かな・・

民宿(?)の人はいきなりのお客で
混乱していたが親切だった。
私は、大雨の中を歩いたのと疲れていたので
朝は、8時頃に起きた。

朝は、意外と天気も良く
その店の食堂で食べながら民宿の人が
「昨日は大変でしたね」
と言ってくれたので
自分の窮地と地理が全然分からないが、
どうしても葬儀に出たいと伝えると・・・
食事をしていた地元の人や食堂の女将が
目的地には「農業空港」がある。
(現在は廃止したとの事)

一度、鹿児島空港に戻り
そこからセスナに乗れば、
行けるとの情報を得たので
タクシーを呼んでもらい裏道、裏道を通り
何とか空港に着いた。

空港に着いてからセスナ用の場所に行くと、
大人3人と子供が1人がいたので聞くと
セスナの飛ぶ時間まで1時間ほど有るのと
台風の影響で風が有り飛ぶか飛ばないか未定との事だった。
その場にいた人は全員昨夜の台風で亡くなった遺族だった・・・・
続く・・・・


6.
続き・・・ そこで私が、
皆でお金を出し有って
チャーター便を飛ばしてもらおうと提案し、
セスナ会社の人に理由を話し
何とか飛ばしてくれないかと交渉したが、
空が荒れているので
途中で引き返しても良いなら飛ばすとの事で
皆さんに了解をもらい
セスナで農業空港に向けて飛んだ。
パイロットは、空が荒れているので
低空で飛ぶとの事だったが、
荒海の小船のようにセスナは上下した。
セスナがポケットに入り急降下した時は、
タヒんだと思いましたね(泣)

しばらくし海岸沿いを飛んでいた時に下を見ると・・・
海岸沿いの道路には、
車が何キロも渋滞していた。その時に
「何だ車は走っているじゃないか」
「道路は生きているだろ」
と思ったのだが・・・

だが・・・先頭を見たら道路が、
ガケ崩れしていて車が海に何台も落下していた。
しかもガケ崩れの先の最後尾の車も半分落ちかけている・・・
要は、渋滞中にガケ崩れが起きて
真ん中の車だけが落下したのだろう・・
しかも低空で飛んでいるお陰で、
車の被害者らしき動かない海に漂う人影も見えたしね・・・(合掌)
同時にセスナは激しく上下するので、
恐怖のあまりシートベルトを必タヒで掴んでいた。
(今、思うとシートベルトを掴んでも
関係ないんだけど、
その時は必タヒだった)

何とか農業空港に着いた時は、
ヒザがガクガクしていた・・・
その心理状態だったので
妻に電話することさえ忘れていた。
続く・・・・


7.
続き・・・・
農業空港(?)から
タクシーで妻の実家に着くと
面識のない人がいたので
名乗ると妻が出てきた。
妻は、私の姿を見るとかなり驚いて
「何でいるの?」
「帰らなかったの?」
「何でいるの?」
「どうやって来れたの?」
と驚くばかり・・
他の面識のない親族も驚くばかり・・

同じ市内に住む
義母の兄弟姉妹や義父の兄弟は
橋が流されたのと
道が台風の被害で通行できず
葬儀に出れない人が何人も居るのに
東京の人間が玄関に立っていたからだった。
しかも義母を乗せた車は既に出ていて、
遺族用のワゴン車が台風で手配出来ず
数台の自家用車でのピストン輸送の
最後便を待っている所だった・・
何とか着替え最後便に乗れたが、
あと10分遅れていたら
義母の骨も拾えなかった。

その後、無事葬儀を終えて会食したが、
私は親族の中でヒーロー扱いだった。
だが、義父が東京の人間がいるのに
何故市内の人間が参加しないのは・・・と
ブツブツ言っていた。
私は「義母さんが呼んでくれたんですよ」と言ったが
本当にその通りだと思ったし親
族の方々も「そうだね」と言ってくれた。

その2日後に
次の台風がきていたので義弟達が
「しばらく帰れないかも知れないので、
今のうちに帰って下さい」
と言われ帰京したが、
会社でも
「何でいるの?」
「良く帰って来たね」
言われた。

台風のニュースで被害が凄かったのと
次の台風が迫っていたので、
こりゃ1週間以上は帰って来れないとの事で
仕事の手配を他の人間に割り振っていた。
義母さん・・・帰りは気を使ってくれなくとも良かったのにぃ~wwww

1人で暮らしている義父の癌の手術が
比較的上手く行ったのを記念して、
カキコしました。
 

引用元: キチネタ募集!!

※「世にもキチな物語」様に許可を頂いて掲載しています。



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