1: 名無しさん 2014/05/12(月) 19:02:00
私は小学6年の時、担任だった女から目を付けられていた。
その理由は私の父親が自衛官だった事。

例えば社会科の時間になれば
「私子さんのお父さんは兵隊をしています。戦争の時代は終わったのに変ですよね」
と皆の前で名指しされたり、私が授業で差されて答えられないと
「兵隊の子供だから勉強できないのね」と馬鹿にされました。

その内に、一部の男子生徒からもからかわれたり、
持ち物に"兵隊の子供"とイタズラ書きをされましたが、担任は助けてるどころか



「兵隊さんは沢山人を殺すから、私子さんのお父さんは人殺しよね」
と、私の父親を人殺し呼ばわりする始末。

お分かりかと思うが、まず日本は軍隊を持てないから兵隊はいない。
それに兵隊という職業は、国と国民の為に命を懸けて戦うのだから、
差別するのも個人的にはおかしいと思う。
そして担任からのあまりの仕打ちに、
私は泣きながら家に帰って母親にその事を話した。

すると母は
「お父さんは人なんて殺してないのよ。
むしろ日本や世界中で困っている沢山の人を助けてくれるヒーローなのよ」
と慰めてくれた。

その後、母親や仲の良かったクラスメート達の証言がキッカケとなり、
その担任は地方の学校へ飛ばされ、卒業まで平和に学校生活を送れた。

それから数年が経過した大学生の頃、とある地方で大きな災害が発生した。
あるボランティア団体に所属していた私は
早速仲間達と被災地へ向い、炊き出しや瓦礫の片付けを始めた。

私が活動した地域は特に被害が大きかったが、
自衛隊の方々が、泥だらけ傷だらけになりながら
不眠不休で被災者の救出作業にあたってくれていた。
その光景を見ていた私は、母の言った言葉を思い出し、
改めて自衛官である父親を尊敬した。

そんなある日、私は小学校で炊き出しを手伝っている時に、
見覚えのある女性教員の姿を見つけて血の気が引いた。
何とその女性は、小学校の時に私の父を人殺しと言った元担任だったからだ。
そして彼女は、あんなに嫌っていた自衛隊から平然と支援物資を貰っていたのだ。
当時の怒りがこみ上げてきた私は、
自分がボランティアである事も忘れ、彼女の前に立ちはだかりこう言った。

「先生お久しぶりです。私を覚えてますか?あの時の兵隊の娘です」

元担任は私が誰だか思い出し、顔面蒼白になっていたが構わずこう続けた。

「ところで先生、貴女が今口にしている物は、
自衛隊から支給された食事ですが大丈夫なんですか?
以前私が給食当番だった頃、"人殺しの娘がよそった物なんて食べたくない"
と言って給食を投げつけたくらい、自衛隊の事を嫌ってたじゃないですか」

その言葉で周りが凍り付つき、一気に視線が元担任に集まった所で、
私は最後に、ずっと言いたかった事を彼女に吐き捨てた。

「貴女がどんなに馬鹿にしようとも、
私は自衛官の父を持った事を誇りに思っています。
何故なら父達は、貴女の様に人を差別をする人間でも
分け隔てなく助けてあげられるからです!」

その数日後、私達は作業を終えて被災地を出ましたが、
地元の人から出発前に聞いた話によると、
元担任は軽い村八分状態になっているそうだ。