名無しさんからのご投稿です。
ありがとうございますm(_ _)m


震災の話。


1.
3年前の3月12日、私の携帯に同僚のT美から1件の着信がありました。
私は仕事中で電話には出られなかったので、T美が入れてくれていた留守番電話のメッセージを聞きました。
内容はその前の前の年の春に結婚し退職したA子と連絡が取れない、もしかしたら津波の被害にあったかもしれない、というものでした。
私とA子は当時東京住まいで、働いていた職場も関東にありました。結婚後も東京に住んでいたので、何故被害が大きかった場所にA子がいることになっているのかさっぱり分からず、慌ててT美の携帯を鳴らしました。




2.
落ち着いて話を聞くと
・A子は東北地方沿岸部の出身
・妊娠34週、里帰り出産のため3月から地元に戻っていた
・T美の彼氏とA子の旦那さんは大学の先輩後輩の間柄で、T美の彼氏に旦那さんが「車を貸して欲しい」と頼んできたことで状況が分かった(探しに行こうとしていた)
・A子のご両親と旦那さんは何とか連絡が取れたが、ご両親もA子とは連絡がついていない
・地震発生当時、A子は出産予定の病院で定期検診を受けて帰る途中だったらしい
・病院は実家から少し離れているため、A子は車で出かけていた
・海沿いの道路を使わないと病院には行けないらしい

T美との電話を切ったあと、少し悩んでA子の携帯を鳴らしました。
音は一切鳴らず、シーンとなったまましばらくして電話は切れました。
まだ混線してるからに違いない。
私は最悪の事態を考えることが怖く、またテレビで繰り返し流れる地震と津波の映像も見れず、
ひたすら薄暗い部屋でA子の無事を願っていました。


3.
それから3日後の3月15日。
A子が見つかったとT美から連絡がありました。
海岸に転がっていた車の中に居たそうです。大きなお腹を両手で抱えるような姿勢で運転席に座っていたとのことでした。
検氏の際にお腹の赤ちゃんの性別が女の子だったと分かったそうです。
火葬が出来たのは3月20日過ぎでした。
A子の所持品は流されてしまい(身元確認の決め手は車のダッシュボードに入っていた車検証だったそうです)母子手帳も免許証も見つからなかったのですが、
震災から2年が経過した頃に漂流物で出てきて、今はお骨と一緒に旦那さんが管理しています。



追記↓

管理人様ありがとうございました。投稿者です。

A子が発見された場所に先日行ってきました。
あれから変わったことは、A子の実家が取り壊しになりご両親も土地を売って引っ越されたことと
T美が彼氏と結婚したこと、
A子の旦那さんがA子と赤ちゃんのためにお墓を買い、納骨の予定が決まりつつある、ということでしょうか。
私は震災をきっかけに医療の道を志し、仕事を辞め助産師を目指して勉強中です。

A子のことは、あの震災の被害の中では特別なことじゃなかったかもしれません。
身近にいた人が災害によって命を失うという出来事は、例え身内じゃなくてもこんなに辛い事なのかと身を持って体験したのが、この東日本大震災でした。

改めて、震災の被害に遭われ命を失ってしまった全ての方のご冥福をお祈りします。